祭り初日に舁き山笠の流区域を清める行事。 町の角々に笹竹を立て、注連縄を張り、竹で作った”素朴”な御幣を添える。 櫛田神社神官が祝詞をあげ、期間中の安全を祈願する。 恵比須流だけは一ヶ月早く、六月一日に実施する。 これは明治中期まで旧暦でお祭りをしていた名残。 |
山笠に神を招き入れる神事。商店街などに建つ飾り山笠が先行する。 櫛田神社の神官がスケジュールに沿って各山笠を回って催行する。 これが済むと、山笠は一般に公開され、祭りらしい雰囲気に。 一方の舁き山笠のご神入れは6、7日頃行なわれる。 |
その年、各流の当番長になった町の面々(流当番のところは流役員)が、一足先に箱崎浜まで駆けて行き、汐井(真砂)を小さな升やテボ(竹ヒゴで編んだか ご)に入れて持ち帰る。 むろん、法被に締め込み姿である。 |
1日の夕方の当番町お汐井とりと主旨と行動はほぼ同じであるが、各流の舁き手が揃うから圧巻だ。 各流ごとに午後6時から7時過ぎにかけて箱崎浜に到着し、沈む夕日に柏手を打って安全を祈願する。 帰路は筥崎宮、櫛田神社に参拝する。 |
いよいよ舁き山笠が登場。それぞれの流区域内を舁き回ることからこの名がある。 舁き出し時刻は流ごとに異なる。 コースも年によって異なり公式発表も行なわないので、事前に流関係者に聞くしかない。 細い路地まで舁き入れるので、この祭りが地域に深く根ざしたものである事がわかる。 |
これも流舁きであるが、早朝に町総代や旧役員を呼んで接待するところから祝儀山とも呼ばれる。 招かれた総代らは帷子(かたびら)に角帯を締めて出席、台上がりは白麻の半纏(はんてん)を着用するのが慣わし。 また、当番町の子供たちもこの日だけは山笠の「杉壁」内に乗せてもらえる。 |
1日2回舁くのはこの日だけ。 流の外に出るところからこの名がある。 櫛田神社の清道を回る「櫛田入り」の練習をする流もある。 |
文字通り追い山笠のリハーサル。 一番山笠から順次「櫛田入り」して奈良屋町角の廻り止め(ゴール)までの約4kmのコースを全力で舁く。 一番山笠は追い山笠同様、「櫛田入り」の際、山笠を止めて「博多祝い唄」を歌う事が認められている。 「櫛田入り」「コース」とも所要時間を計測する。 |
福岡市の要請で昭和37年から始まった。 当初は昭和通りで行なわれていたが、昭和58年からは明治通りの呉服町交差点~天神(福岡市役所)間約1.3kmが「舞台」だ。 この日に限り、知名士が台上がりを務め、棒さばき役の各流総務ともども舁き手を叱咤激励する。 |
未熟な舁き手にとっては、その年、山笠が舁ける最後のチャンスでもある。追い山笠では、慣れた若手やベテランの舁き手が交代で山笠に付くからだ。 「櫛田入り」の練習をする流もある。 |
大太鼓の合図とともに一番山笠から順に「櫛田入り」。 その後、境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの「追い山笠コース」を須崎町の廻り止め(ゴール)を目指して懸命に舁く。 「櫛田入り」「コース」ともに所要時間を計測する。 櫛田神社の能舞台では午前6時から荒ぶる神様に捧げる鎮めの能が演じられる。 |