今から約700年前に滋賀県坂田郡山東町(現米原市)に生まれた佐々木道誉は、41歳の時甲良町勝楽寺に移り住み勝楽寺城を築いた。理由は京都の事変にすぐ応えるためであり、勝楽寺城は戦闘体制に適した土地であったからだ。以降、鎌倉幕府の滅亡と南北朝、足利尊氏の室町幕府擁立に活躍し、78歳で生涯をとじるまで勝楽寺を拠点とした。バサラ=婆娑羅とは、室町時代の流行語で『遠慮なく勝手気ままに振る舞う、派手な人』のことをいう。この時代道誉はどんちゃん騒ぎを好み、自由奔放でバサラ大名の典型といわれていました。バサラ大名といえども道誉は決して無節操に勝手な振る舞いをしていたわけではない。一見自由奔放に見えても道誉の行動には一本の筋が通っていた。そのひとつが足利尊氏に対する忠実心で、もう一つは日本の古典芸術・茶道・華道・能楽、連歌などを奥深く極めたことである。歌集では最初の連歌撰集に道誉の81首が入り、茶の世界では道誉が選んだ茶器の中には近世になって信長や秀吉によって受け継がれた名器がある。また、能楽や狂言の保護と育成に力をそそいだ。バサラ大名道誉は、後世日本芸能の元祖といわれる教養文化人でもあった。
博多祝之七福神(はかたいわいのしちふくじん)
生野 四郎
七福神とは、大黒流の由来である大黒天、恵比須天、毘沙門天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七つの神様の総称です。『七難即滅、七福即生』の説に基づくように、七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福が授かると言われています。大黒流の由来である大黒天は、大自在天の化身ともいわれ、大黒主命と神仏習合したものです。大きな袋を背負い、打出小槌をもち、頭巾をかぶれた姿が一般によく知られていて財宝、福徳開運の神様として信仰されています。