忠誠真愛武士魂(ちゅうせいしんあいもののふのこころ
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中村 信喬
武士の義に生きた幕末の名君と称された「松平容保」
会津松平藩九代目の藩主。文久二年幕末京都守護職として、京都の治安と公武合体に力を尽くし、時の孝明天皇の厚い信頼を得る。その後、倒幕派は形勢を逆転、戊辰戦争へ突入。会津落城後は妙国寺に謹慎、のち和歌山藩に移され明治五年に赦免。後に日光東照宮宮司を務めた。文久三年(一八六三年)孝明天皇からご宸翰(ごしんかん・天皇直筆の手紙)と御製(ぎょせい・天皇の和歌)を下賜された。それを入れた小さな竹筒を首から提げて終生肌身離さず、そして中身を誰にも見せなかった。朝敵の藩主として波乱にとんだ人生を閉じたが、忠誠心厚く誠実一途を貫いた人物であった。後に松平容保に贈られた神号は貫いた人生と同じ「忠誠(まさね)霊神」であった。