京の五條の橋に毎夜雲突くばかりの大入道が現れ何の遺恨か武士とみれば刀を取り上げ拒めば切り捨てるとの風評が京童(わらべ)の口に伝えられ昼の雑踏に比べ夜は森閑として誰一人通行する者もない。
大入道は今宵も忽然と姿を現し、鴨の流に移る十五夜の月を欄干にもたれて眺めている折、黒塗りの下駄を履いた稚児姿の少年が笛を吹きながら橋にさしかかり入道が立てかけた薙刀を蹴とばした。
これを見た入道烈火の如く憤り薙刀を取って斬りかかれば少年は飛鳥(ひちょう)の如き早業を以って遂に入道を降伏せしめた。
そこで入道恐れ入って『御高名承りたし、吾こそは武蔵坊弁慶と申す荒法師なり心願ありて千口(せんふり)の大刀(太刀)を手に入れんと毎晩此処に現れ今宵は満願に當り今一口(ひとふり)のところで此の不覚』と双手をつき平伏せば少年は『われは左馬頭義朝(さまのかみよしとも)が九男牛若丸』と名乗る。
弁慶驚き且つ悦び牛若丸(後の義経)と主従の誓いを立て、以後影の形に添う如く献身義経のために仕えた。
邂逅:思いがけなく出会うこと。偶然の出会い。めぐり合い。
『慶長三年(1598)3月15日、秀吉は一世の善美を尽くした花見をこの槍山(やりやま)で催した。
千畳敷きとも呼ばれる平地には新しい花見御殿がたてられた。又。女人堂から槍山の間には長束正家をはじめ各武将により趣向をこらした茶屋八棟が設けられた。
この花見にさきがけて山内馬場先から槍山に至る両側には畿内より集めた桜の木七百本を植えさせた。
花見の当日、秀吉は秀頼・北の政所・西の丸(淀君)・松の丸・三の丸を従え、山下の桜が一望できる槍山の御殿で花見の和歌を短冊にしたため桜の枝につり下げた。秀吉の栄華を誇る豪華な花見であった。