曽我富士誉(そがふじのほまれ
)
田中比呂志
曽我兄弟の仇討ちは建久四年五月二十八日(一一九三年六月二十八日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件で、日本最大仇討ちの一つである。
総務
嶋田高幸
表・見送りの曽我十郎・五郎の二体の人形が見所です。舁き山でありながら二体の人形を飾る点は土居流の伝統で、前回(6~7年前)は黒田官兵衛親子でした。
また、土居流のほとんどの町が着用している紺の久留米かすりの水法被も特色です。
事故がないよう、無事に櫛田神社へ奉納できること、それがもっとも大切なことです。