肥後虎不屈逆境(ヒゴノトラギャッキョウニクッセズ)
西川直樹
加藤清正は、安土桃山時代(千五百六十二生)の武将、肥後の国(熊本)の大名で尾張国愛知郡中村の生まれ、幼名夜叉丸、元服後に虎之介清正、豊臣秀吉と同郷の出身、幼少(十二歳)より秀吉に仕える。清正の武名は、天正十一年、賤ヶ岳の戦いで七本槍の一人として功名を挙げたのに始まる。秀吉の朝鮮侵略の先兵的役割を果たし漢陽を攻略、李朝の二皇子を捕縛した。その時の虎退治は有名。その後の関ヶ原の戦いで東軍に参加し、やがて肥後一国(五十四万石)の大名となる。清正は、日本三大名城の一つである熊本城の形成に努めるとともに独特の手法で肥後の四大河川を改修、灌漑用水の便を図り約八千町歩の新田を開発した。その為『土木の神様』と称された徳川幕府に服従する一方で、豊臣家の存続を念願、豊臣秀頼の二条城会見にも従い豊臣家の危機を救った。その帰途、船中で病にかかり、間もなく病没(五十歳)一生を秀吉に捧げた武将である。
総務:山脇 正勝