【飾り山笠】 十一番山笠 博多リバレイン

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表標題
大化の改新 乙巳の変(たいかのかいしん いっしのへん)
                
人形師

生野 四郎内容説明

 飛鳥時代の孝徳天皇2年(大化2年、西暦646年)に発布された改新の詔(かいしんのみことのり)に基づく政治的改革。この政治改革は、皇極天皇4年6月12日(西暦645年7月10日)、蘇我入鹿を討ち、翌日、権勢を誇っていた入鹿の父 蘇我蝦夷を滅亡させた乙巳の変(いっしのへん)から始まった。その翌日の6月14日、皇極天皇は弟の軽皇子(後の孝徳天皇)に皇位を譲った。

改革は、皇極太上天皇と中臣鎌足(内臣。後の藤原鎌足)の主導のもと、年若い両皇子 中大兄(後の天智天皇)、大海人(後の天武天皇)の協力によって推進された。この改革によって豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされている。「大化」は日本最初の元号である。この改革により、「日本」という国号と「天皇」という称号の使用が始まったとされる。

                                                                
見送り標題

足柄山の金太郎(あしがらやまのきんたろう)
                 
人形師

生野 四郎

内容説明
むかし、京都から来た八重桐という名の山姥が、中島の里に住むようになりました。ある日の金時山中、八重桐は夢の中で、赤い龍と結ばれ、赤ん坊を宿しました。
月満ちた五月のある日、八重桐のお腹から、大きな産声と共に、真っ赤な体の男の子が生まれました。赤ん坊は金太郎と名づけられ、お乳をよく飲み、丈夫に育っていきました。
金太郎の遊び場は、山や沼。山では、けものたちが待っています。。クマと相撲を取ったり、けもの同志で相撲を取らせたりして遊んだあと、お母さんは持たせてくれたおにぎりをほおばりました。日が暮れる前に、薪を取ると、峠をおります。母の八重桐に心配を掛けないように、畑仕事にも精を出し、体も心も大きく育っていきました。
都の武将源頼光が下総から京都へ帰る途中のこと。
足柄峠にさしかかると、不思議な赤い色をした雲を見つけました。雲を目指して山道を進むと、金太郎親子に出逢いました。
頼光の家臣は金太郎を大変気に入り、母もまた金太郎を武将にしたいと思っていました。金太郎は頼光について都に行くことになりました。
金太郎は、山に一人で残る母がさみしくないようにと、屋敷に山の桜を一本植えて行きました。
都へ行った金太郎は、頼光の四天王の一人としてたくさんの手柄をたて、日本中にその名をとどろかせたということです。(静岡県小山町ホームページより抜粋)

総務:松尾 公平

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