7月1日 注連(しめ)下ろし 祭り初日に舁き山笠の流区域を清める行事。 町の角々に笹竹を立て、注連縄を張り、町を祓い清める。 祭壇を設け、櫛田神社神官が祝詞をあげ、期間中の安全を祈願する。 恵比須流だけは一ヶ月早く、六月一日に実施する...
飾り山笠は、7月1日から15日の午前0時頃まで福博の町、13ヶ所で公開される。 櫛田神社に向いた面を「表」とし、その後方を「見送り」と呼ぶ。 それぞれ 博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られ、「表」には武者物、「見送り」には童話やテレビアニメが題材になることが多い。 以前は高さが16メートルあった山笠を舁い...
<<飾り山笠紹介 奇襲桶狭間(きしゅうおけはざま) 中村 信喬 永禄三年五月十九日(一五六〇年六月十二日)織田信長軍と今川義元軍との合戦東海の覇者今川義元が上洛の足がかりとして尾張の織田領内に侵攻今川軍(二万五千)は順調に数々の戦い勝利し大いに悦び桶狭間で休息をとっていた。昼すぎ視界を妨げる程の豪雨が降り織田...
十数か町(旧町)を束ねた組織の呼称。 今では博多祇園山笠や博多松囃子といったお祭りで耳にするだけであるが、江戸時代を通して日常生活に密着した自治組織だった。現在の校区自治連合会に相当するといえるのではないか。 大陸貿易で栄えた博多は戦国時代、せめぎ合う大名、豪族の争奪の場となり、兵火に遭って焼け野原と化した...