<<平成二十一年度バックナンバー 高級ブランド店や福岡アジア美術館などが入る博多リバレイン前に建つ。この地域にはかつて下川端通りと寿通りに飾り山笠があったが、再開発事業の開始とともに休止。 それらを統合して平成11(1999)年から参加。(博多区下川端町) 尽忠南風誉蝉本(じんちゅうなんぷうほまれ...
<<平成二十一年度バックナンバー 西日本新聞会館ビルとエルガーラビルとの間のエルガーラ・パサージュ広場に建つ。アーケードはあるが、屋根が高いため、本格的な小屋で囲っている。 西日本新聞グループと博多大丸などが平成17(2005)年から奉納。(中央区天神一丁目) 源平壇ノ浦合戦(げんぺいだんのうらの...
<<平成二十一年度バックナンバー ホテルニューオータニ博多前の広場に建つ。再開発ビルのテナントなどが資金を出し合って運営している。一丁目地区にはかつて南流があったものの、一時中断。昭和54(1979)年から「渡辺通一丁目」の名で復活。(中央区渡辺通一丁目) 勲黒田武士(くんくろだぶし) 中野親一 ...
<<平成二十一年度バックナンバー ドーム球場、ホテル、ショッピングモールの経営母体のほか、各テナントなどで運営。 プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの人気選手の人形が登場し、親子連れらファンの目を楽しませる。平成12(2000)年からお目見え。(中央区地行浜) 新生鷹軍団(しんせいたかぐんだん) ...
<<平成二十一年度バックナンバー 福岡市の陸の玄関・JR博多駅の博多口広場に建つ。同駅は九州新幹線鹿児島ルートの開通を前に駅ビルの大規模建て替えなど再開発の最中。建てる場所は工事の進展具合で、多少移動するかもしれない。(博多区博多駅中央街) 長谷堂城の戦い(はせどうじょうのたたかい) 生野四郎 秀...
<<平成二十一年度バックナンバー 平成8(1996)年に開業した大規模商業施設・キャナルシティ博多の吹き抜けに建つ。周囲に小屋を作らないので、四方八方から視線が送られる。どこから見られても「よか山笠」と言われるよう人形師の努力が続く。(博多区住吉一丁目)) 助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざく...
<<平成二十一年度バックナンバー このお祭りの”舞台“となる櫛田神社の境内に建つ。追い山笠の終了とともに山笠は解くのが決まりであるが、この山笠は例外。祭り期間以外に来た観光客用に一年を通して公開される。毎日、記念撮影の人々でにぎわう。(博多区上川端町) 我不慚天地(われはて...
<<舁き山笠紹介 大鵬一擧九萬里(タイホウイッキョスキュウマンリ) 亀田 均 大鵬は想像上の巨大な鳥のことで、もとは鯤という巨大な魚が転身して鵬という鳥になったと荘子・逍遥遊篇にあります。鵬が南の果ての海(南冥)に飛び立つとき、一挙に九萬里の高さまで舞い上がると言われています。 天変地異の続いてい...
<<舁き山笠紹介 征夷大将軍頼朝(セイイタイショウグンヨリトモ) 中村 信喬 源頼朝(みなもとのよりとも)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。河内源氏の源義明の三男として生 まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。伊豆で以仁王の令旨を受...
<<飾り山笠紹介 至心一到和平基(シシンイットウワヘイノモトイ) 中野 親一 大阪冬の陣において戦功をたてた、若干二十歳の木村重成は、和平交渉の使者として家康と対峙し、その堂々とした若武者ぶりは周囲を圧倒した。自らの死を覚悟し兜の中に香を薫き込め出陣した 大阪夏の陣において華華しい討死を遂げた 愛...
<<飾り山笠紹介 美の国日本(ビノクニニッポン) 中村 信喬 四方を海に囲まれた日本は古来、外から入って来る文化を日本独自の文化とうまく融合させ、花開かせてきました。仏教伝来は、その象徴です。唐の初め、三蔵 法師は孫悟空、猪八戒、沙吾浄を伴い、仏法を求めてインドへ向かいました。苦難の旅路の末、中国...
<<飾り山笠紹介 祝博多乃連獅子(イワイハカタノレンジシ) 置鮎 琢磨 標題 「祝博多乃連獅子」(いわいはかたのれんじし)「連獅子」は、勇壮華麗な代表的な御祝儀舞です。本年度の博多祇園山笠の一番山笠の大黒流を祝いこの 標題と致しました。獅子には、我が子を千尋の谷に突き落とし、駆け戻って来た強い子だ...
<<飾り山笠紹介 竺紫乃雄磐井君(ツクシノユウイワイノキミ) 亀田 均 六世紀前半、北部九州で八女を本拠にする筑紫国造(筑紫君)磐井の軍と、継体天皇の命をうけた物部大連麁鹿火の率いる大和王朝軍が一年有余にわたって激突 した。そして継体二十二(五二八)年冬十一月。場所は筑紫の御井郡(久留米)軍旗と軍...