<<飾り山笠紹介 真田十勇士(サナダジュウユウシ) 中野 親一 真田幸村は、真田昌幸の次男であり有名な武将である。江戸時代初期の大坂の陣では豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、三千五百の寡兵を持って 徳川家康の本陣まで攻め込み、家康を追いつめた。後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将...
<<飾り山笠紹介 槍寿祝宴(メイソウコトブキノシュクエン) 置鮎 琢磨 黒田長政の使者として福島正則のもとに出向いた家臣の母里太兵衛友信。酔っていた正則は、固辞する友信に「この大盃を飲み干せば、何でも褒美を取らす」と言った。友信は見事に飲み干し、正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を貰い受けた...
<<飾り山笠紹介 関ヶ原長政武勲の誉(セキガハラナガマサブクンノホマレ) 生野 四郎 「黒田長政」(くろだ・ながまさ1568~1623)黒田孝高(通名・黒田官兵衛、号・如水)の嫡男であり、筑前福岡藩の初代藩主。父・如水は豊臣秀吉の 軍師として活躍し、策謀で名を上げたのに対し、長政は父譲りの調略の才...
<<飾り山笠紹介 熱一心若鷹(ネツイッシンワカタカ) 置鮎 琢磨 今年のソフトバンクホークスは、また今までと違う戦力で進め方も新監督さん面白かバイ。私たちも今年で七七四年を迎える博多の文化伝統の祭「九番山笠」が 無事できて、ホークスファンみんなで「オイサー」って、応援するバイ そして目指すもんは、...
<<飾り山笠紹介 鞍馬山(クラマヤマ) 田中 比呂志 鎌倉時代初期、遮那王(後の牛若丸)は、七歳の時、討死にした父、源義朝が縁のあった鞍馬山の別当、阿闍梨の元に預けられた。遮那王は、学問・武芸に精進 し、その性質、器量といい比叡山延暦寺にも三井寺にも、これほどの稚児がいるとは思えないと称された。鞍...
<<飾り山笠紹介 奮戦真田丸(フンセンサナダマル) 川崎 修一 徳川家康が豊臣氏と最後の決戦に挑んだ大阪の陣の直前九度山を脱出大阪城に入った真田幸村、大助父子 慶長十九年冬、堅固で知られる大阪城で唯一弱点と見られる南側に小城真田丸を築いた。これに徳川軍をおびき出して武略、知略をめぐらして散々にこれ...
<<飾り山笠紹介 合戦三方原(カッセンミカタガハラ) 三宅 隆 一五七二年(元亀三年)十月、遠江(静岡)三方ヶ原で対決した武田信玄と徳川家康の戦い。時の将軍、足利義昭より“信長討つべし”との指示を受けた武田信 玄は、三万五千の精鋭を率いて甲府を出発。遠江に入り二俣城を落とし...
<<飾り山笠紹介 義経千本桜(ヨシツネセンボンザクラ) 室井 聖太郎 歌舞伎の三大名作の一つにかぞえられている「義経千本桜」を題材に致しました。場面は、堂山らしい華やかな桜満開の吉野山。義経が静御前に与えた鼓を静の 従者、佐藤忠信に与えたところ、化身忠信の真の姿狐の本性となり、その鼓の皮は化身忠信...
<<舁き山笠紹介 豪勇日本號之誉(ゴウユウニホンゴウノホマレ) 川崎 修一 黒田二十四騎中随一の豪傑。身の丈六尺半、容貎優れて、髭濃く頑固と伝わる。御存じ母里多兵衛友信であります。筑前今様「黒田節」でおなじみの福島正則か ら呑み取った「日本號」を手に黒田官兵衛、長政父子を筑前五十二万石の大守に押し...
<<舁き山笠紹介 趙雲子龍心如雪(チョウウンシリュウココロハユキノゴトシ) 今井 洋之 「三國志」の英雄の一人に、蜀の劉備が「彼の志操は清きこと雪の如し」と言わしめた趙雲子龍がいます 幼主阿斗を救出するため、百万の曹操軍を突破する 「長坂坡」の戦いで、幼主を胸当ての下に庇い、得意の槍を待ち、背に敵...
<<舁き山笠紹介 天下一武蔵(テンカイチムサシ) 溝口 堂央 宮本武蔵 江戸初期の剣術家。二天一流の開祖で晩年に「五輪書」を執筆する。京都の吉岡一門や巌流島(佐々木小次郎)等多数の闘いが後世に伝えられている。またすぐれた水墨画や工芸品を残している。天下無双を、追い求めた宮本武蔵の姿を製作しました。...
<<舁き山笠紹介 東風招春鏡獅子(トウフウハルヲマネクカガミジシ) 白水 英章 堂山らしく歌舞伎の演目より優美な姿の鏡獅子を題材にしました。江戸城での正月の「御鏡もち曳き」という行事の余興の出来事で、可憐な娘が踊るうちに獅子 頭を手に、勇壮な獅子となって舞い踊る場面です。一心不乱に激しく踊る鏡獅子...
<<舁き山笠紹介 降臨大黒天 (コウリンダイコクテン) 宗田 智幸 天から舞い降りてきた大黒様は民に宝を振りまいている。民にとって宝はまさしく財宝である。大黒様から見れば、この宝は欲の塊であり、我欲を捨てたところ に無限の豊かさを得ることができるができる。つまり、「どれだけ多くのもの持っているか」...