<<飾り山笠紹介 祝博多乃連獅子(イワイハカタノレンジシ) 置鮎 琢磨 標題 「祝博多乃連獅子」(いわいはかたのれんじし)「連獅子」は、勇壮華麗な代表的な御祝儀舞です。本年度の博多祇園山笠の一番山笠の大黒流を祝いこの 標題と致しました。獅子には、我が子を千尋の谷に突き落とし、駆け戻って来た強い子だ...
<<飾り山笠紹介 竺紫乃雄磐井君(ツクシノユウイワイノキミ) 亀田 均 六世紀前半、北部九州で八女を本拠にする筑紫国造(筑紫君)磐井の軍と、継体天皇の命をうけた物部大連麁鹿火の率いる大和王朝軍が一年有余にわたって激突 した。そして継体二十二(五二八)年冬十一月。場所は筑紫の御井郡(久留米)軍旗と軍...
<<飾り山笠紹介 風雲桶狭間(フウウンオケハザマ) 置鮎 正弘 風雲桶狭間 尾張の小大名・織田信長が東海の雄・今川義元の大軍を破る大金星をあげ、戦国時代の大きな転機となった、日本の歴史上有名な戦い「桶狭間の戦 い」。永禄3年(1560)5月19日、正午頃、中嶋砦の前衛に張り出していた佐々政次、千秋...
<<飾り山笠紹介 真田十勇士(サナダジュウユウシ) 中野 親一 真田幸村は、真田昌幸の次男であり有名な武将である。江戸時代初期の大坂の陣では豊臣方の武将として活躍し、特に大坂夏の陣では、三千五百の寡兵を持って 徳川家康の本陣まで攻め込み、家康を追いつめた。後世に江戸幕府・諸大名家の各史料にその勇将...
<<飾り山笠紹介 槍寿祝宴(メイソウコトブキノシュクエン) 置鮎 琢磨 黒田長政の使者として福島正則のもとに出向いた家臣の母里太兵衛友信。酔っていた正則は、固辞する友信に「この大盃を飲み干せば、何でも褒美を取らす」と言った。友信は見事に飲み干し、正則が豊臣秀吉から拝領した名槍「日本号」を貰い受けた...
<<飾り山笠紹介 関ヶ原長政武勲の誉(セキガハラナガマサブクンノホマレ) 生野 四郎 「黒田長政」(くろだ・ながまさ1568~1623)黒田孝高(通名・黒田官兵衛、号・如水)の嫡男であり、筑前福岡藩の初代藩主。父・如水は豊臣秀吉の 軍師として活躍し、策謀で名を上げたのに対し、長政は父譲りの調略の才...
<<飾り山笠紹介 熱一心若鷹(ネツイッシンワカタカ) 置鮎 琢磨 今年のソフトバンクホークスは、また今までと違う戦力で進め方も新監督さん面白かバイ。私たちも今年で七七四年を迎える博多の文化伝統の祭「九番山笠」が 無事できて、ホークスファンみんなで「オイサー」って、応援するバイ そして目指すもんは、...
<<飾り山笠紹介 鞍馬山(クラマヤマ) 田中 比呂志 鎌倉時代初期、遮那王(後の牛若丸)は、七歳の時、討死にした父、源義朝が縁のあった鞍馬山の別当、阿闍梨の元に預けられた。遮那王は、学問・武芸に精進 し、その性質、器量といい比叡山延暦寺にも三井寺にも、これほどの稚児がいるとは思えないと称された。鞍...
<<飾り山笠紹介 奮戦真田丸(フンセンサナダマル) 川崎 修一 徳川家康が豊臣氏と最後の決戦に挑んだ大阪の陣の直前九度山を脱出大阪城に入った真田幸村、大助父子 慶長十九年冬、堅固で知られる大阪城で唯一弱点と見られる南側に小城真田丸を築いた。これに徳川軍をおびき出して武略、知略をめぐらして散々にこれ...
<<飾り山笠紹介 合戦三方原(カッセンミカタガハラ) 三宅 隆 一五七二年(元亀三年)十月、遠江(静岡)三方ヶ原で対決した武田信玄と徳川家康の戦い。時の将軍、足利義昭より“信長討つべし”との指示を受けた武田信 玄は、三万五千の精鋭を率いて甲府を出発。遠江に入り二俣城を落とし...
<<飾り山笠紹介 義経千本桜(ヨシツネセンボンザクラ) 室井 聖太郎 歌舞伎の三大名作の一つにかぞえられている「義経千本桜」を題材に致しました。場面は、堂山らしい華やかな桜満開の吉野山。義経が静御前に与えた鼓を静の 従者、佐藤忠信に与えたところ、化身忠信の真の姿狐の本性となり、その鼓の皮は化身忠信...
飾り山笠は、7月1日から15日の午前0時まで福博の町、14ヶ所で公開される。 櫛田神社に向いた面を「表」とし、その裏側を「見送り」と呼ぶ。 それぞれ 博多人形師による絢爛豪華な人形が飾られ、「表」には武者物、「見送り」には童話やテレビアニメが題材になることが多い。 以前は高さが15、6メートルあった山笠を舁...
<<舁き山笠紹介 豪勇日本號之誉(ゴウユウニホンゴウノホマレ) 川崎 修一 黒田二十四騎中随一の豪傑。身の丈六尺半、容貎優れて、髭濃く頑固と伝わる。御存じ母里多兵衛友信であります。筑前今様「黒田節」でおなじみの福島正則か ら呑み取った「日本號」を手に黒田官兵衛、長政父子を筑前五十二万石の大守に押し...
<<舁き山笠紹介 趙雲子龍心如雪(チョウウンシリュウココロハユキノゴトシ) 今井 洋之 「三國志」の英雄の一人に、蜀の劉備が「彼の志操は清きこと雪の如し」と言わしめた趙雲子龍がいます 幼主阿斗を救出するため、百万の曹操軍を突破する 「長坂坡」の戦いで、幼主を胸当ての下に庇い、得意の槍を待ち、背に敵...