<<平成二十五年度バックナンバー 起死回生尊氏陣(きしかいせいたかうじのじん) 中村 信喬 「太平記」で有名な室町幕府の初代将軍、足利尊氏は人望厚き武者だったようです。乱れた武士の世を正すため鎌倉幕府に見切りをつけて後醍醐天皇に味方し幕府を倒します。 しかし公家中心の政治を進める後醍醐天皇と対立し...
<<平成二十五年度バックナンバー 太閤博多の町割り(たいこうはかたのまちわり) 中野 親一 戦国大名の多くの合戦によって博多の町はたび重なる火災にみまわれ、国際貿易都市として隆盛をきわめたかつての面影はなくなってしまっていた。 天正十五年六月、博多に上陸した秀吉は黒田忠孝、石田三成に博多復興を命じ...
<<平成二十五年度バックナンバー 疾風誉若鷹(しっぷうほまれのわかたか) 置鮎 琢磨 この飾り山は、ソフトバンクホークスの活躍を信じ応援しています。 源平壇之浦決戦(げんぺいだんのうらけっせん) 三宅 隆 寿永四年(一一八五年)三月二四日源平最後の決戦が長門の国壇の浦で戦われた。平知盛を大将にした...
<<平成二十五年度バックナンバー 女戦士 八重のさくら(おんなせんしやえのさくら) 生野 四郎 慶応四年(一八六八年)鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発。やがて戦火は会津へと移りました。会津藩砲術家山本権八の娘八重は、鳥羽 伏見の戦いで負傷し、江戸で死去した弟三郎の形見の装束を着て、肩には最...
<<平成二十五年度バックナンバー 勧進帳(かんじんちょう) 置鮎 琢磨 歌舞伎十八番の一つ。兄頼朝と不知になり、山伏姿で奥州へ落ちる源義経一行が安宅の関守、富樫左衛門に見とがめられる。弁慶は機転で偽りの勧進帳を読み上げ、さらに主君を打擲する。弁慶の苦衷を察した富樫は一行を通す。 西遊記(さいゆうき...
<<平成二十五年度バックナンバー 黒田決戦石垣原(くろだけっせんいしがきばる) 置鮎 正弘 九州における関ヶ原合戦ともいえる石垣原合戦 黒田官兵衛孝高(如水)は家督を長政に譲り九州・豊前国中津城にて隠居していたが、上方で関ヶ原合戦が行われようとする報を受けるやただちに挙兵し、九州 平定に動きだし、...
<<平成二十五年度バックナンバー 助六江戸前男振(すえろくえどまえおとこぶり) 亀田 均 通称「助六」。正式には「助六由緑江戸桜」。曾我五郎は源氏の名刀友切丸を探すため花川戸助六という快客に姿を変え、江戸の吉原に出入り。恋仲となった傾城揚巻から自分に言い寄る髭の意休という老人がその刀を持っていると...
<<平成二十五年度バックナンバー 知勇誉軍師(ちゆうほまれのぐんし) 置鮎 琢磨 智勇誉軍師黒田勘兵衛(黒田孝高/黒田如水)を題材にしました。 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊前国中津城主。孝高は諱で通称の「官兵衛」や出家後の「如水」の号で有名。豊臣秀吉の側近として仕え、 調略や他...
<<平成二十五年度バックナンバー 剛弓一箭源為朝(ごうきゅういっせんみなもとのためとも) 田中 比呂志 保元一年(千百五十六)京都では崇徳上皇と後白河天皇の勢力争いが起こり、上皇方に源為義・為朝、天皇方に源義朝・平清盛と分かれて衝突が起こりました。 為朝が守る西門に清盛の郎党である伊藤景綱とその子...
<<平成二十四年度バックナンバー 天翔覇王夢(あまかけるはおうのゆめ) 川﨑 修一 戦国の世に覇を唱えた英雄、織田信長。古来からの慣習にとらわれず合理性を持って強く美しき道を追い求める孤高の魂。その英雄の見る夢は永遠に天をを駆け巡る。
<<平成二十四年度バックナンバー 琴瑟相和整(きんしつあいわしてととのう) 亀田 均 中国最古の詩集の一つから引用した標題で原文は「妻子好合、如鼓瑟琴。兄弟既翕、和楽且湛。」(妻子好く合し、瑟琴を鼓するが如し。兄弟既に合い、和楽し且つ湛しむ。)です。 夫婦恵比須は夫婦仲の良い代表であります。福徳円...
<<平成二十四年度バックナンバー 清正公武勲(せいしょうこうのぶくん) 中村 信喬 賤ヶ岳の七本槍の一人として知られる加藤清正は数々の武功を挙げ秀吉没後は徳川の家臣として関ヶ原の戦いでの働きにより肥後国一国を与えられ熊本藩主になりました。熊本城の築城、土木・治水工事をはじめ干拓を行い新田を開発し、...
<<平成二十四年度バックナンバー 余香馥郁大楠恩(よこうふくいくたりだいなんのおん) 宗田 智幸 余香は消えず残っている香。転じては過去に受けた忘れられぬ恩恵。馥郁は豊かに香るさま。良いお香や花は、その漂ってくる香りに貴賓が感じられる。人もまた同じ。その人柄か、人徳か、良い評判や影響がどこからとも...