<<平成二十六年度バックナンバー 開祖誉発展進行(カイソホマレハッテンシンコウ) 置鮎 琢磨 博多祇園山笠振興会創立六十周年を記念して、承天寺の開祖であり山笠の起源と云われる聖一国師を題材に取り上げました。人形は施餓鬼棚に乗って祈祷水を撒き、疫病を退散した場面と、わらじを履いて山を舁いていた時代の...
<<平成二十六年度バックナンバー 藤太百足退治勇(トウタムカデタイジノイサオシ) 中村 信喬 平安中期の武将・藤原秀郷こと俵藤太といえば百足退治で有名です。舞台は近江国の瀬田川にかかる瀬田の唐橋。三上山を七回り半もする大百足が毎晩ここに現れ、人々を困らせていたのを武勇の誉れ高い俵藤太が龍神一族に頼...
<<平成二十五年度バックナンバー 見義不為無勇也(ぎをみてせざるはゆうなきなり) 亀田 均 人として為すべき正しい道を知りながら行わないのは臆病者である。 解説:「渡辺綱」は平安中期の武士で摂津源氏の源頼光に仕えた人物です。 筆頭として剛勇で知られ、大江山の酒呑童子退治や京都の一条戻り橋の上で鬼の...
<<平成二十五年度バックナンバー 忠誠真愛武士魂(ちゅうせいしんあいもののふのこころ) 中村 信喬 武士の義に生きた幕末の名君と称された「松平容保」 会津松平藩九代目の藩主。文久二年幕末京都守護職として、京都の治安と公武合体に力を尽くし、時の孝明天皇の厚い信頼を得る。その後、倒幕派は形勢を逆転、戊...
<<平成二十五年度バックナンバー 威風堂々忠儀漢(いふうどうどうちゅうぎのかん) 宗田 智幸 母里太兵衛は安土桃山時代から江戸時代にかけての武将であり、黒田如水、長政に仕え槍術に優れた武将として活躍した。文禄、慶長の役休戦中京都の福島正則の元へ長政の使者として使わされた太兵衛は、正則に「この酒を飲...
<<平成二十五年度バックナンバー 武勇長政公(ぶゆうながまさこう) 中村 信喬 永禄十一年(一五六八年)十二月三日、黒田孝高の婿男として播磨国姫路城に生まれる。幼名松寿丸。文禄元年秀吉の文禄慶長の役に従軍。慶長三年石田三成と対立。慶長五年家康方に付き東軍武将として関ヶ原にて戦う。西軍の小早川や吉川...
<<平成二十五年度バックナンバー 英傑傾天下尚潔(えいけつてんかにかぶいてなおいさぎよし) 川﨑 修一 群雄割拠の戦国時代にありながら権力や地位、名誉に囚われず傾奇者と呼ばれた漢がいた。彼は仲間同士と信義を重んじ自らの命を惜しまない気概を貫き通し颯爽とその時代を生き抜いた。
<<平成二十五年度バックナンバー 合戦石垣原(かっせんいしがきばる) 三宅 隆 黒田如水は軍師として秀吉に仕え、その功績により豊前豊後六郡を与えられ中津城を築城した。石垣原の合戦は一六〇〇年九月、元豊後の国主だった大友の義総 が旧領回復を目指して戦う。(大友宗麟の息子)大友義総は、秀吉に不始末をと...
<<平成二十五年度バックナンバー 武魁神剣誉(ぶのさきがけしんけんのほまれ) 川﨑 修一 祇園の祭神、素戔嗚尊が出雲に降りて来て八俣の大蛇にしいたげられている、足名椎、手名椎とその娘、櫛名田比売の為に八俣の大蛇を退治すると云う武勇談。 藤花三巴誇(とうかみつどもえのほこり) 川﨑 修一 秀吉の軍師...