<<平成二十一年度バックナンバー 神光照天地(じんこうてんちをてらす) 亀田均 神光とは本来、誰もが持っている光明のことで、直江兼続はそれを「義と愛」であると言っています。 上杉謙信公は「天の時、地の利に叶い、人の和ともに整いたる大将は少なし」と若き直江兼続に示しています。 上杉景勝の家臣となった...
<<平成二十一年度バックナンバー 和心生大道(わしんだいどうをしょうずる) 中村信喬 聖徳太子が「和を以て貴しと為す」と説かれ約千四百年も経っていますが、未だ世界の各地で戦争や紛争は絶え間なく繰り返されています。本年度土居流が聖徳 太子の人形と本標題を掲げることで、小さくは家庭内、大きくは世界にお...
<<平成二十一年度バックナンバー 信為萬事本(しんはばんじのほんとなす) 置鮎正弘 「信為萬事本」信は万事の本と為す 華厳経に「信は道の元、功徳の母たり一切諸善法を増長し、一切諸疑惑を除滅す」とあります。何事もまず信を起こす事が肝要であり、全ての事において基本となる。偽の多いこの世の中において、「...
<<平成二十一年度バックナンバー 中洲四丁目の中洲大通りに建つ。テーマは表が合戦絵巻もの、見送りが黄門さまであることが多い。中洲は九州一の歓楽街。周囲はクラブ、スナックなどで、夜ともなると心の解放を求める酔客でにぎわう。分かりやすさも考慮。(博多区中洲四丁目) 壇の浦凄絶知盛(だんのうらせいぜつと...
<<平成二十一年度バックナンバー 再開発ビル「パピヨン24」前に建つ。かつて飾り山笠も持っていた千代流の悲願がかなって平成2(1990)年に復活した。都心部からやや離れているものの、その高さ、作品の出来具合とも申し分ない。一見の価値あり。評価は高い。(博多区千代一丁目) 天地人(てんちじん) 川﨑...
<<平成二十一年度バックナンバー 「走る飾り山笠」の異名を持つ。通常は上川端商店街で公開されているが、追い山ならし(7月12日午後)、追い山(同15日早朝)では”櫛田入り“の後、コースの一部を舁いてしんがりを務める。大きな山笠に感嘆の声が漏れる。(博多区上川端町) 大江山酒...
<<平成二十一年度バックナンバー 明治通りから川端通商店街に入ってすぐの一角が川端中央街。もともとは下新川端町の一部で、今も大黒流に属する。縮めて川中(かわなか)。南側の上川端商店街(土居流)とは組合も異なる。小世帯ながら力を合わせて維持。(博多区上川端町) 天地人(てんちじん) 中野親一 「天の...
<<平成二十一年度バックナンバー 天神の商業・ホテル施設(西鉄経営)であるソラリアの吹き抜けに建つ。平成4(1992)年、江戸時代にあった「旗指し山」を復元する形でデビュー。今は西鉄沿線、あるいは九州に題材を求めて奉納している。(中央区天神二丁目) 勇壮奮然倭建命(ゆうそうふんぜんやまとたける) ...
<<平成二十一年度バックナンバー 平成20(2008)年春、”中央広場“にアーケードが設けられた。山笠は例年とほぼ同じ位置に建てられるが、結果的にその屋根の下に収まることになった。戦後、博多以外にお目見えした最初の飾り山笠。(中央区天神二丁目) 富士山麓曾我誉(ふじさんろく...
<<平成二十一年度バックナンバー 高級ブランド店や福岡アジア美術館などが入る博多リバレイン前に建つ。この地域にはかつて下川端通りと寿通りに飾り山笠があったが、再開発事業の開始とともに休止。 それらを統合して平成11(1999)年から参加。(博多区下川端町) 尽忠南風誉蝉本(じんちゅうなんぷうほまれ...
<<平成二十一年度バックナンバー 西日本新聞会館ビルとエルガーラビルとの間のエルガーラ・パサージュ広場に建つ。アーケードはあるが、屋根が高いため、本格的な小屋で囲っている。 西日本新聞グループと博多大丸などが平成17(2005)年から奉納。(中央区天神一丁目) 源平壇ノ浦合戦(げんぺいだんのうらの...
<<平成二十一年度バックナンバー ホテルニューオータニ博多前の広場に建つ。再開発ビルのテナントなどが資金を出し合って運営している。一丁目地区にはかつて南流があったものの、一時中断。昭和54(1979)年から「渡辺通一丁目」の名で復活。(中央区渡辺通一丁目) 勲黒田武士(くんくろだぶし) 中野親一 ...
<<平成二十一年度バックナンバー ドーム球場、ホテル、ショッピングモールの経営母体のほか、各テナントなどで運営。 プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの人気選手の人形が登場し、親子連れらファンの目を楽しませる。平成12(2000)年からお目見え。(中央区地行浜) 新生鷹軍団(しんせいたかぐんだん) ...