<<平成二十三年度バックナンバー 明治通りから川端通商店街に入ってすぐの一角が川端中央街。もともとは下新川端町の一部で、今も大黒流に属する。縮めて川中(かわなか)。南側の上川端商 店街(土居流)とは組合も異なる。小世帯ながら力を合わせて維持。(博多区上川端町) 戦国の女江(せんごくのおんなごう) ...
<<平成二十三年度バックナンバー 天神の商業・ホテル施設(西鉄経営)であるソラリアの吹き抜けに建つ。平成4(1992)年、江戸時代にあった「旗指し山」を復元する形でデビュー。今は 西鉄沿線、あるいは九州に題材を求めて奉納している。(中央区天神二丁目) 怪力相撲日田殿(かいりきすもうひたどん) 置鮎...
<<平成二十三年度バックナンバー このお祭りの”舞台“となる櫛田神社の境内に建つ。追い山笠の終了とともに山笠は解くのが決まりであるが、この山笠は例外。祭り期間以外に来た観光客用に 一年を通して公開される。毎日、記念撮影の人々でにぎわう。(博多区上川端町) 智将疾風関ヶ原(ち...
<<平成二十二年度バックナンバー 英雄鄭成功(えいゆう ていせいこう) 中村信喬 明代末、明の高官(鄭芝竜・ていしりゅう)と日本人(平戸の医師の娘)を母にもつ鄭森(ていしん)が厦門(アモイ)に渡り明の復興を願い清と戦い、皇帝よ り朱姓を賜り国姓爺(こくせんや)と称す。オランダに占領されていた台湾を...
<<平成二十二年度バックナンバー 勇将義如鐵(ゆうしょうのぎてつのごとし) 川﨑修一 戦国時代、志ある武将は義と勇を競いあった。中でも九州の立花宗茂は双方共に兼ね備え、その心術の高朗さは、他に類が無いと云われています。 総務 中富鐵也 前回私どもが当番町として一番山を勤めました平成10年には、筑前...
<<平成二十二年度バックナンバー 日出乾坤輝(ひいでて けんこんかがやく) 亀田均 恵比須はイザナギノミコトの第三子、ヒルコノミコトと伝えられ、幼少のころは恵比須三郎として親しまれています。「日出乾坤輝」日は太陽、乾坤は天地のこ とです。太陽のような大きな鯛が恵比須神と共にもう一度お出ましをいただ...
<<平成二十二年度バックナンバー 博多守護之武勲(はかたしゅごのぶくん) 中村信喬 元寇 鎌倉時代、中国・元のフビライは日本の入貢を求めたが幕府に拒否され、1274年(文永11年)元軍は壱岐・対馬を侵し博多に迫ったが敗退。 1281年(弘安4年)再び范文虎らの兵十万を送ったが、西国の将兵よく奮戦し...
<<平成二十二年度バックナンバー 清風万頃波(せいふうばんけいのなみ) 置鮎正弘 清らかな風が通り過ぎ、見渡す限りの水面に一斉にさざ波が起こる。 ※頃は広さの単位で、万頃は極めて広い ※研ぎ澄まされた清らかな徳の風が多くの人に反映されることを表す。 重盛は人工港、袖港(そでのみなと)の造営に関わり...
<<平成二十ニ年度バックナンバー 中洲四丁目の中洲大通りに建つ。テーマは表が合戦絵巻もの、見送りが黄門さまであることが多い。 中洲は九州一の歓楽街。周囲はクラブ、スナックなどで、夜ともなると心の解放を求める酔客でにぎわう。分かりやすさも考慮。(博多区中洲四丁目) 合戦宇治橋攻防(かっせん うじばし...
<<平成二十ニ年度バックナンバー 再開発ビル「パピヨン24」前に建つ。かつて飾り山笠も持っていた千代流の悲願がかなって平成2(1990)年に復活した。都心部からやや離れているものの、その高さ、作品の出来具合とも申し分ない。一見の価値あり。評価は高い。(博多区千代一丁目) 水滸伝(すいこでん) 川﨑...