<<平成二十三年度バックナンバー 曽我富士誉(そがふじのほまれ) 田中比呂志 曽我兄弟の仇討ちは建久四年五月二十八日(一一九三年六月二十八日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件で、日本最大仇討ちの一つである。 総務 嶋田高幸 表...
<<平成二十三年度バックナンバー 常行一直心(つねにいちじきしんをぎょうず) 宗田智幸 正直で純一無雑な心。煩悩妄想で覆われることもなく。思慮分別や、小賢さで毒されることもない。素直で清純な心のこと。いつでも、どこでも、何事をするに も常にただこの直心を働かせて余念のないこと。平安時代、大陸より伝...
<<平成二十三年度バックナンバー 楠公湊川之奮戦(なんこうみなとがわのふんせん) 中村信喬 後醍醐天皇の命により足利軍と戦うことと成った楠木正成公。友軍の新田軍は本陣を二本松に置き、水軍の上陸に備えた。楠木軍は湊川の西側。合戦では、足利 直義軍の陸上軍は、西国街道を進み、少弐頼尚は、和田岬の新田軍...
<<平成二十三年度バックナンバー 再開発ビル「パピヨン24」前に建つ。かつて飾り山笠も持っていた千代流の悲願がかなって平成2(1990)年に復活した。都心部からやや離れているものの、その高さ、作品の出来具合とも申し分ない。一見の価値あり。評価は高い。(博多区千代一丁目) 天下布武誉(てんかふぶのほ...
<<平成二十三年度バックナンバー 中洲四丁目の中洲大通りに建つ。テーマは表が合戦絵巻もの、見送りが黄門さまであることが多い。 中洲は九州一の歓楽街。周囲はクラブ、スナックなどで、夜ともなると心の解放を求める酔客でにぎわう。分かりやすさも考慮。(博多区中洲四丁目) 攻防千早城(こうぼうちはやじょう)...
<<平成二十三年度バックナンバー 「走る飾り山笠」の異名を持つ。通常は上川端商店街で公開されているが、追い山ならし(7月12日午後)、追い山(同15日早朝)では”櫛田入り“の後、 コースの一部を舁いてしんがりを務める。大きな山笠に感嘆の声が漏れる。(博多区上川端町) 京一条...
<<平成二十三年度バックナンバー 平成20(2008)年春、”中央広場“にアーケードが設けられた。山笠は例年とほぼ同じ位置に建てられるが、結果的にその屋根の下に収まることになっ た。戦後、博多以外にお目見えした最初の飾り山笠。(中央区天神二丁目) 疾風迅雷六文銭(しっぷうじ...
<<平成二十三年度バックナンバー 高級ブランド店や福岡アジア美術館などが入る博多リバレイン前に建つ。この地域にはかつて下川端通りと寿通りに飾り山笠があったが、再開発事業の開始とと もに休止。 それらを統合して平成11(1999)年から参加。(博多区下川端町) 博多乃豪商(はかたのごうしょう) 置鮎...
<<平成二十三年度バックナンバー 西日本新聞会館ビルとエルガーラビルとの間のエルガーラ・パサージュ広場に建つ。アーケードはあるが、屋根が高いため、本格的な小屋で囲っている。 西日本 新聞グループと博多大丸などが平成17(2005)年から奉納。(中央区天神一丁目) 季長元寇之武勲(すえながげんこうの...
<<平成二十三年度バックナンバー ホテルニューオータニ博多前の広場に建つ。再開発ビルのテナントなどが資金を出し合って運営している。一丁目地区にはかつて南流があったものの、一時中断。昭和54(1979)年から「渡辺通一丁目」の名で復活。(中央区渡辺通一丁目) 一寸法師話(いっすんぼうしばなし) 中野...
<<平成二十三年度バックナンバー ドーム球場、ホテル、ショッピングモールの経営母体のほか、各テナントなどで運営。プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの人気選手の人形が登場し、親子連 れらファンの目を楽しませる。平成12(2000)年からお目見え。(中央区地行浜) 鷹昇快進撃(たかのぼるかいしんげき)...
<<平成二十三年度バックナンバー 福岡市の陸の玄関・JR博多駅の博多口広場に建つ。同駅は、九州新幹線全線開業に伴い、2011年3月リニューアルされたばかり。博多を象徴する新しい博多駅の前に建つ飾り山笠は今年のみどころだ。(博多区博多駅中央街) 大坂の夏の陣(おおさかのなつのじん) 生野四郎 江は、...