<<平成二十四年度バックナンバー 大刀一閃巴武勇(だいとういっせんともえのぶゆう) 田中 比呂志 寿永三年(一一八四年)宇治川の戦いで敗れ、都を追われた木曽の義仲は、己の運命の行く先を覚り、今井四郎兼平と共に最後の合戦に臨んだ。義仲の軍隊三百 余騎は甲斐の一条次郎の軍隊六千余騎の中に突進し、四方八...
<<平成二十三年度バックナンバー 怪童金太郎(かいどうきんたろう) 川崎修一 平安時代の武将、源頼光の四天王の一人、坂田公時は子供時代金太郎と呼ばれていました。相模の足柄山に住み、熊や猿や兎達と仲良く遊び、逞しく大きくなっ て行きました。普通は怪童と云いますが敢えて快童とし、これからの日本、みんな...
<<平成二十三年度バックナンバー 鉄槌舞春風(てっついしゅんぷうにまう) 亀田均 平安朝時代、豊後の国守に百合若という若い武将がおりました。鉄の弓矢で勇ましく戦う強くて逞しい男で、妻の春日姫とともに領民に慕われていました。ある時、百合若は朝廷より新羅討伐の命を受けます。戦いには勝利するものの、帰路...
<<平成二十三年度バックナンバー 曽我富士誉(そがふじのほまれ) 田中比呂志 曽我兄弟の仇討ちは建久四年五月二十八日(一一九三年六月二十八日)、源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件で、日本最大仇討ちの一つである。 総務 嶋田高幸 表...
<<平成二十三年度バックナンバー 常行一直心(つねにいちじきしんをぎょうず) 宗田智幸 正直で純一無雑な心。煩悩妄想で覆われることもなく。思慮分別や、小賢さで毒されることもない。素直で清純な心のこと。いつでも、どこでも、何事をするに も常にただこの直心を働かせて余念のないこと。平安時代、大陸より伝...
<<平成二十三年度バックナンバー 楠公湊川之奮戦(なんこうみなとがわのふんせん) 中村信喬 後醍醐天皇の命により足利軍と戦うことと成った楠木正成公。友軍の新田軍は本陣を二本松に置き、水軍の上陸に備えた。楠木軍は湊川の西側。合戦では、足利 直義軍の陸上軍は、西国街道を進み、少弐頼尚は、和田岬の新田軍...
<<平成二十三年度バックナンバー 再開発ビル「パピヨン24」前に建つ。かつて飾り山笠も持っていた千代流の悲願がかなって平成2(1990)年に復活した。都心部からやや離れているものの、その高さ、作品の出来具合とも申し分ない。一見の価値あり。評価は高い。(博多区千代一丁目) 天下布武誉(てんかふぶのほ...
<<平成二十三年度バックナンバー 中洲四丁目の中洲大通りに建つ。テーマは表が合戦絵巻もの、見送りが黄門さまであることが多い。 中洲は九州一の歓楽街。周囲はクラブ、スナックなどで、夜ともなると心の解放を求める酔客でにぎわう。分かりやすさも考慮。(博多区中洲四丁目) 攻防千早城(こうぼうちはやじょう)...
<<平成二十三年度バックナンバー 「走る飾り山笠」の異名を持つ。通常は上川端商店街で公開されているが、追い山ならし(7月12日午後)、追い山(同15日早朝)では”櫛田入り“の後、 コースの一部を舁いてしんがりを務める。大きな山笠に感嘆の声が漏れる。(博多区上川端町) 京一条...
<<平成二十三年度バックナンバー 平成20(2008)年春、”中央広場“にアーケードが設けられた。山笠は例年とほぼ同じ位置に建てられるが、結果的にその屋根の下に収まることになっ た。戦後、博多以外にお目見えした最初の飾り山笠。(中央区天神二丁目) 疾風迅雷六文銭(しっぷうじ...