<<平成二十三年度バックナンバー 西日本新聞会館ビルとエルガーラビルとの間のエルガーラ・パサージュ広場に建つ。アーケードはあるが、屋根が高いため、本格的な小屋で囲っている。 西日本 新聞グループと博多大丸などが平成17(2005)年から奉納。(中央区天神一丁目) 季長元寇之武勲(すえながげんこうの...
<<平成二十三年度バックナンバー ホテルニューオータニ博多前の広場に建つ。再開発ビルのテナントなどが資金を出し合って運営している。一丁目地区にはかつて南流があったものの、一時中断。昭和54(1979)年から「渡辺通一丁目」の名で復活。(中央区渡辺通一丁目) 一寸法師話(いっすんぼうしばなし) 中野...
<<平成二十三年度バックナンバー ドーム球場、ホテル、ショッピングモールの経営母体のほか、各テナントなどで運営。プロ野球の福岡ソフトバンクホークスの人気選手の人形が登場し、親子連 れらファンの目を楽しませる。平成12(2000)年からお目見え。(中央区地行浜) 鷹昇快進撃(たかのぼるかいしんげき)...
<<平成二十三年度バックナンバー 福岡市の陸の玄関・JR博多駅の博多口広場に建つ。同駅は、九州新幹線全線開業に伴い、2011年3月リニューアルされたばかり。博多を象徴する新しい博多駅の前に建つ飾り山笠は今年のみどころだ。(博多区博多駅中央街) 大坂の夏の陣(おおさかのなつのじん) 生野四郎 江は、...
<<平成二十三年度バックナンバー 平成8(1996)年に開業した大規模商業施設・キャナルシティ博多の吹き抜けに建つ。周囲に小屋を作らないので、四方八方から視線が送られる。どこから 見られても「よか山笠」と言われるよう人形師の努力が続く。(博多区住吉一丁目)) 流星光底逸長蛇(りゅうせいこうていにち...
<<平成二十三年度バックナンバー 明治通りから川端通商店街に入ってすぐの一角が川端中央街。もともとは下新川端町の一部で、今も大黒流に属する。縮めて川中(かわなか)。南側の上川端商 店街(土居流)とは組合も異なる。小世帯ながら力を合わせて維持。(博多区上川端町) 戦国の女江(せんごくのおんなごう) ...
<<平成二十三年度バックナンバー 天神の商業・ホテル施設(西鉄経営)であるソラリアの吹き抜けに建つ。平成4(1992)年、江戸時代にあった「旗指し山」を復元する形でデビュー。今は 西鉄沿線、あるいは九州に題材を求めて奉納している。(中央区天神二丁目) 怪力相撲日田殿(かいりきすもうひたどん) 置鮎...
<<平成二十三年度バックナンバー このお祭りの”舞台“となる櫛田神社の境内に建つ。追い山笠の終了とともに山笠は解くのが決まりであるが、この山笠は例外。祭り期間以外に来た観光客用に 一年を通して公開される。毎日、記念撮影の人々でにぎわう。(博多区上川端町) 智将疾風関ヶ原(ち...
<<平成二十二年度バックナンバー 英雄鄭成功(えいゆう ていせいこう) 中村信喬 明代末、明の高官(鄭芝竜・ていしりゅう)と日本人(平戸の医師の娘)を母にもつ鄭森(ていしん)が厦門(アモイ)に渡り明の復興を願い清と戦い、皇帝よ り朱姓を賜り国姓爺(こくせんや)と称す。オランダに占領されていた台湾を...
<<平成二十二年度バックナンバー 勇将義如鐵(ゆうしょうのぎてつのごとし) 川﨑修一 戦国時代、志ある武将は義と勇を競いあった。中でも九州の立花宗茂は双方共に兼ね備え、その心術の高朗さは、他に類が無いと云われています。 総務 中富鐵也 前回私どもが当番町として一番山を勤めました平成10年には、筑前...
<<平成二十二年度バックナンバー 日出乾坤輝(ひいでて けんこんかがやく) 亀田均 恵比須はイザナギノミコトの第三子、ヒルコノミコトと伝えられ、幼少のころは恵比須三郎として親しまれています。「日出乾坤輝」日は太陽、乾坤は天地のこ とです。太陽のような大きな鯛が恵比須神と共にもう一度お出ましをいただ...
<<平成二十二年度バックナンバー 博多守護之武勲(はかたしゅごのぶくん) 中村信喬 元寇 鎌倉時代、中国・元のフビライは日本の入貢を求めたが幕府に拒否され、1274年(文永11年)元軍は壱岐・対馬を侵し博多に迫ったが敗退。 1281年(弘安4年)再び范文虎らの兵十万を送ったが、西国の将兵よく奮戦し...